本好きな私が、この夏の旅先に選んだのは熊本。
大好きな作家・夏目漱石の文学ミュージアムが熊本にあることを知り、「いつか行きたい」と思ったのが、この旅のきっかけです。
Personality(人柄)と Museum(博物館)をかけ合わせた造語「夏目パージアム」と名づけられたその場所は、「人柄から夏目漱石を知る。好きになる。」をコンセプトに、文豪・夏目漱石の人物像や人柄にフォーカスした新感覚の空間のようです。
しかも「夏目パージアム」があるのは、熊本市中心部の「HOTEL TAU, KUMAMOTO」という、文学やアートに浸ることができる「都市型ブックホテル」の中。実はこのホテル、私がよく利用している「相鉄ホテルズ」のひとつです。
もうそれだけで、この夏の熊本旅が自然と動き始めました。
レトロ電車に揺られて、ブックホテルへ
JR熊本駅から市電(路面電車)に乗車します。
梅雨の晴れ間のこの日は、運よくレトロ車両に乗り合わせました。木目調の床とクラシックな照明がどこか優雅で、ノスタルジックな文学旅の始まりを予感させてくれます。
ガタンゴトンという音に耳を傾けながら車窓を眺めていると、15分ほどで「花畑町」に到着しました。
「HOTEL TAU, KUMAMOTO」は、「花畑町電停」から徒歩約3分。
夏目漱石の旧居跡に建つホテルというだけで、なんともドラマチックな舞台です。
大きな鉢植えが目印の「夏目パージアム」のエントランス。その隣にあるホテルの入口から中へ入り、ミュージアムショップを横目に見ながら、エレベーターで4階のフロントへ上がりました。
チェックインカウンターの前に立つと、「あのショップの奥に、旅の目的地『夏目パージアム』があるのだ」と思うだけで、高揚感に包まれます。気持ちが前のめりになるのをぐっと抑えて、まずはチェックインを済ませました。
客室は落ち着いた色調でまとめられ、障子風の扉がしつらえられた、明るく居心地のよい和風モダンテイスト。滞在のひとときを通して、木のぬくもりと熊本の空気や文化を感じられる空間でした。
ベッドのわきに本を置き、「今夜はここで続きを読もう」と思うだけで、この部屋に泊まる楽しみがひとつ増えた気がします。
あいにく今回は泊まることができませんでしたが、このホテルにまだ1室しかない「漱石ルーム」は、漱石が残した言葉や作品の世界に浸れる、文学好きにはたまらない特別なお部屋です。
今後増設予定とのことなので、次回はぜひここに泊まって、漱石を「体験」してみたいと思いました。
いよいよ「夏目パージアム」へ
ホテル1階にある「夏目パージアム」。ついにその時が来た——そう思うと、エレベーターの動きさえも、これから始まる自分と漱石との物語の一幕のようでした。
扉が開くと、一面白い壁で構成された空間が現れます。最初に目に飛び込んできたのは、等身大の夏目漱石の姿を描いた絵でした。意外と小柄な「あの夏目漱石」が、こちらを静かに見つめているようで、思わず背筋が伸びます。
白い余白の多い空間に自分の足音が小さく響きます。展示に集中できる静けさのなかで、想像力がいつもより自由にふくらむ気がしました。
AI夏目漱石が訪れた人の質問に答えてくれるコーナーでは、かつて自宅で開いていた「木曜会」のように、日常の小さな疑問から人生相談まで、どんな話題でも気軽に会話を楽しむことができます。さらに、漱石が1か月に食べたと言われる量のジャムの瓶が並んだ展示もありました。大の甘党だったこと、紅茶が好きだったこと——教科書では知り得なかった人となりの輪郭が、少し見えてきます。
漱石が、どんな人物で、どんな暮らしをしていたのか。人柄や習慣に触れていくうちに、遠い存在だったはずの作家が、少しだけ身近に感じられました。昔読んだ作品を、また最初から開き直してみたくなる——そんな思いが自然と湧いてくる空間でした。
パージアムの余韻から、紅茶の時間へ
「夏目パージアム」での余韻そのままに、隣接するミュージアムショップを覗いてみます。熊本市の観光案内所も併設されたこのショップは、熊本を訪れた本好きがふらりと立ち寄っても楽しめる、小さなギャラリーのようでした。
アートにも造形が深かったという漱石。自筆の絵葉書を友人に送ったり、自分で装丁を手掛けたりしていたそうです。そんなエピソードを思い浮かべながら眺める『吾輩は猫である』を中心とした遊び心あるデザインに、ついつい手が伸びます。
実用的な文具から、ちょっとした贈り物にしたくなる小物まで揃っていて、本好きな自分へのご褒美として選んだのは、「しおりの3種セット」。
旅のあいだも、その先の日常でも、読書時間にそっと寄り添ってくれそうなアイテムです。
その後、ホテルに併設する「コッツウォルズティールーム」で少し休憩をとることにしました。
熊本の老舗紅茶専門店でもあるこちらは、日本紅茶協会『美味しい紅茶の店』認定店でもあります。漱石がイギリスに留学していたこともあって、どこか縁を感じさせます。
甘党だった漱石が好んだという苺ジャム&あんこに、カカオ豆を焙煎して細かく砕いた「カカオニブ」を合わせたワッフルメニュー「漱石TEA TIME」を迷わず注文しました。
焼き立てのワッフルを頬張り、紅茶をひと口飲むと、その甘さの中に漱石が浮かび上がってくるような、穏やかな至福のひとときでした。
熊本の夜と、本の時間
優雅なティータイムを楽しんだあと、そのまま客室へ戻るにはまだ早い気がして、熊本の空気を感じようとホテル周辺を少し歩いてみました。
夕暮れの街を散歩したあと、近くの店で軽く夕食をとりながら、今日知った漱石のエピソードや「夏目パージアム」で感じたことを思い返します。
ホテルに帰って客室へ上がる前に、ブックライブラリーに立ち寄りました。
ロビーラウンジも兼ねたこのスペースには、おしゃれな本屋さんのようにたくさんの本が並び、レトロな緑色のテーブルランプと落ち着いた色合いのインテリアが、どこか懐かしい読書室を思わせます。
いつまでもここに座っていたくなるような心地よい空気が流れていました。
ドリンクコーナーで淹れたコーヒーを手に、本棚から漱石の本を1冊取り、ソファ席に座りました。
夏目パージアムで目にした漱石の人柄を思い浮かべながらページをめくると、登場人物のセリフや行動に、これまで以上に奥行きを感じました。「パージアム」で得た印象は、展示室を離れたあとも、じわりと実感できるものでした。
ページを閉じる頃には、明日の予定が頭の中に浮かんでいました。明日はパージアムで感じたイメージを、熊本の風景と重ねてみよう。
そんなことを考えながら客室へ戻り、ベッドのわきに置いていた本を数ページだけ読み進めました。すぐに文字がかすんできて、灯りを消すと穏やかな眠りが訪れました。
ホテルの朝食と、旅の朝の読書
ゆっくりとした朝の時間を楽しむため、ホテル内の朝食会場「TAU Library(タウ ライブラリー)」へ向かいました。地元食材を使った和洋ビュッフェには、熊本らしい小鉢がたくさん並び、どれを選ぶか迷う時間も楽しいものです。
なかでもお気に入りは、熊本名物の「いきなり団子(紫芋)」でした。
季節の食材をふんだんに使った色とりどりの手作りの朝ごはんが、今日一日のエネルギーになってくれそうです。
お腹を満たしたあと、「もう少し本と過ごしたい」という思いが強く、すぐに出発するのが惜しい気持ちになりました。
そのままブックライブラリーの本棚から1冊を抜き取り、昨晩と同じソファ席に腰を下ろします。
漱石の熊本時代を思い返しながらの読書時間。観光スポットをたくさん回る代わりに、旅先でゆっくり本を読む。そんな旅の朝も、なかなか粋なものだと思いました。
教師・夏目漱石に会いに行く
後ろ髪をひかれる思いでホテルを後にし、バス停に向かう道を歩いていると、ふと熊本城が視界に入りました。
「漱石もこの街のどこかから、この城を眺めていたのだろうか」と、そんなことを思い描いてしまいます。
「市役所前」から「熊本大学前」行きのバスに乗車し、「第五高等学校記念館」へ向かいました。そこからキャンパス内をゆっくり歩いていくと、やがて赤煉瓦の建物が見えてきます。
ここは、漱石が29歳で英語教師として教壇に立ち、4年3か月を過ごした旧制第五高等学校の面影を今に伝える場所です。国の重要文化財にも指定されており、その重厚な外観からは歴史を感じます。
館内では当時の教室が再現されており、実際に机に座ることもできます。生徒たちの写真や教科書・教材などが並び、「先生・夏目漱石」というイメージの向こうに、若い教師としての戸惑いや葛藤が見えてくるようでした。
アーチ状の天井の廊下を静かに歩きながら、窓の向こうに広がる景色を眺めていると、この土地で過ごした時間が、後の漱石作品の世界につながっているのだろうと自然に想像したくなります。
夏目パージアムで人柄に触れたあとにここを訪ねると、「教師としての漱石」が、ぐっとリアルな人物として現れてくるようでした。
第五高等学校記念館(五高跡)住 所:熊本市中央区黒髪2-40-1
アクセス:(JR熊本駅から)産交バス・電鉄バス:楠団地、光の森行き「熊本大学前」下車
(HOTEL TAUから)産交バス・電鉄バス「市役所前」より「熊本大学前」下車
入館料 :無料
漱石の時間に浸った、HOTEL TAUでの2日間
漱石に思いを馳せながらJR熊本駅まで戻り、そのまま帰りの電車に乗り込みました。
座席に座って鞄を開き、ミュージアムショップで買ったしおりをそっと取り出しました。途中まで読んだ漱石の1冊に、そのしおりを挟みながらページを開くと、この旅の景色や時間が、静かによみがえってくるような気がしました。
漱石が熊本で暮らした場所に建つホテルに泊まり、その人柄を知るミュージアムを訪れ、夜はライブラリーで作品を読む。
まるで漱石が暮らした日々の続きの中に滞在しているような2日間でした。
人柄や暮らしぶりを知ることで、漱石は少しだけ身近な存在になります。そして、その感覚のまま本を開く時間は、このホテルだからこそ味わえる特別な体験でした。
熊本を巡る旅でありながら、最も印象に残ったのはHOTEL TAUで過ごした静かな時間だったのかもしれません。次は漱石ルームで、もう一度この世界に浸ってみたいと思います。
本好きの方はぜひ、お気に入りの1冊を旅のお供に、「HOTEL TAU, KUMAMOTO」を訪れてみてはいかがでしょうか。